shinji172009-05-25

文献上は、神武天皇が大和の国を平定した際に大和高尾で
水無飴を作ったという記載が日本書紀にある。
また、正倉院に収蔵されている古文書に阿米という記載があり、
飴を意味していると考えられており、8世紀前半には
日本で飴が作られていた事がわかる。
なお、日本書紀は神話であり神武天皇の時代に
飴が作られていたかは分からないが、明らかなのは、
日本書紀が編纂された720年には既に飴が存在したということである。
 この当時の飴はいわゆる水飴であったというのが
研究者の一致した見解となっており、
「阿米」という記載から伺えるように米を原料としていたと考えられている。
米を原料としている点は現在の麦芽水飴と同様であるが、
製法はまったく違っていたようである。
米を発芽させる事で米に含まれる糖化酵素を活性化させ、
デンプン質を糖化させることで飴を作っていたと推察されている。
 中国語においても、砂糖で作る堅い飴や、洋風のキャンディーなどは
「糖(タン táng)」と呼び、「飴(イー yí)」は、
米、コウリャン、麦芽などから作る水飴や軟らかい飴を指すという区別がある。
 なお、現在の飴はもっぱら菓子として食べられているが、
当時は甘味料として用いられていたようである。
また、甘い食品が貴重であった事から
薬や珍味の様なあつかいもされていたようである。
 (Wikipediaより)